監督代行を振り返る【episode.1 初登板 ~2013 #3~】

 

目も当てられないほどのブログ記事の積み残しをようやく完済。
今年の記事を・・・と思ったら自粛期間の長期化。なかなかうまくいきません。

この自粛期間にも,子どもたちの心が野球から離れないようにすることと,自分自身の振り返り及びアウトプットを目的に,ツイッターやブログ,YouTube等での発信を続けていきます。喋りが非常に下手で,動画を撮れば撮るほどそのことを自覚。自己肯定感は低下しまくりです。途切れ途切れの喋りを編集でどうにかつなげてupしています。子どもたちには,しっかりと話せる大人になってもらいたいものです。 YouTuberになりたい人は特に(笑)

 

さて,前置きはこのくらいにして,今日から「監督代行を振り返る」ということで記事をupしていきます。
以前にも自分自身の振り返りとして監督代行をテーマに書いたことがありますが,これまでとは異なり,特定の選手にスポットを当てての記事にする予定です。

 

監督代行としての原点は,2014年10月の記事に書いた,吉成野球にお世話になる前(2010年の3年生以下の大会)の判断ミス。決断の遅さ,油断,温情により勝利を取りこぼし,選手に迷惑をかけた試合です。

 

あれから3年。
場所を変え,再び少年野球の試合で指揮をとらせていただく機会が巡ってきました。

 

2013年10月。
場所は雪がちらつく岩出山。

 

 

 

今日の記事の主人公はこの選手。
それまでファーストが定位置で,シーズン途中にはそのポジションもままならなくなり守備位置を転々としていた選手です。

 

 

 

 

 

6年生6名と,新人戦に帯同しない4年生以下の選手で岩出山大会に参加した時のことです。私はそれまで練習でもほとんど経験のないピッチャーに彼を指名しました。塁間でのキャッチボールをある程度できる選手には積極的にピッチャーを経験してほしいという考えのもとでの指名でした。

 

そのことを通達した時は驚いていましたが,まんざらでもなさそうな彼。

指名しておきながら,期待よりも不安が勝っていた28番。

バックには,守ったことのないポジションに就く選手や初めて試合に出る選手も。

 

 

 

そんな逆風を物ともせず,彼はいざ試合が始まると,サイド気味のフォームからいとも簡単にストライクを投じ,打者を料理。スコアボードに0を並べ,ついには完投勝利を収めてしまうのでした。

もちろん個人賞は彼に決まり。

 

 

 

 

 

私はその後も毎年監督代行を務めることになりますが,固定概念にとらわれず,可能性を広げるための選手起用を思い切ってできるようになったのは彼の活躍があったからに他なりません。

 

 

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