「感動」と「選手生命」

2014.11.13(木)

先日、フィギュアスケートのGPシリーズが行われました。
羽生結弦選手(仙台市出身)が、本番前の練習中に別の選手と衝突し、頭やアゴから出血する怪我を負いながら本番も演技し2位になったことがメディアでも大きく取り上げられました。ご存知の方も多いのではないでしょうか。

羽生選手は他の選手と衝突後リンクに叩き付けられ、しばらく起き上がることができませんでした。処置のためリンクを去る時のうつろな目、誰もが棄権すると思いましたが、羽生選手は再びリンクへ。「ヒーローになる必要はないんだ」というコーチの言葉にも欠場は考えず、「死ぬまでやる」と言って躊躇することなく本番に臨んだといいます。

羽生選手はその言葉通り4分30秒の本番演技をやり切りました。その闘志や根性に多くの人々が感動する一方、脳震盪が疑われる状況にも関わらず強行出場したことについて、アスリートや専門家からは「棄権すべきだったのではないか」「コーチや医師が止めるべきだった」などというような懐疑的な意見が多く出されました。

 

今日は、私がたまたま目にしたこの記事を紹介したいと思います。
大会翌日のネットニュースの記事です。

http://bylines.news.yahoo.co.jp/ryouchida/20141109-00040588/

 

この記事に共感する部分、そして勉強になる部分が多くありました。

まずはスポーツにおける「脳震盪」の怖さについて。
意識が戻れば一安心、では決してないということをしっかり認識しておく必要がありますね。
医療に精通していないだけに、こういった事故からも学ばなければならないと思っています。

そして記事の最後にもある、「日本のスポーツ文化は、根性で危機を乗り越える場面を、拍手でもってたたえる。(中略)そうした『拍手』や『感動』は、選手の生命をむしろ危機に追いやる可能性があるのだ。」という部分が強く印象に残りました。
考え方はいろいろあろうかと思いますが、感動と引き換えに選手生命を犠牲にするのはあまりにも代償が大きすぎると思います。
スポーツには困難が付き物です。その困難を乗り越える為には、根性気迫闘志も時に必要だということは否定しません。しかし、致命傷になり得るリスクを負ってもなお無理をする必要はあるのか・・・?

多くのスポーツ選手は、自分で限界を作ることを忌み嫌います。多くの選手は現役である限り、相手に勝つこと、自分に勝つことを目指して競技を続けているからです。いま多少の無理をしてでも「後悔」をしたくないと考えるからです。
致命傷になり得るアクシデントが起こった時にどうするか。医療の面からも、選手生命どころか生命そのものが脅かされると警鐘が鳴らされています。怪我の程度を的確に判断し、誰かがストップをかけてやる必要はあると思います。選手が選手であり続ける為に。

 

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