甲子園中止

 

今日,夏の高校野球の中止が発表されました。

すでにインターハイは中止が発表されており,運動部の高3生の中で野球だけ,最後の大会ができるかどうかの結論を待っている状況でした。

会見で,大会トップも「苦渋の決断」と話していました。批判を覚悟で記しますが,今回の大会運営側の判断は賢明であったと思います。緊急事態宣言は39県が解除され,宣言継続中の8県も解除の方向に向かっているとはいえ,学校の安定的な再開もできていない現状で,教育活動の一環である部活動の全国大会が開催できるはずがありません。地方大会も,足並みを揃えて中止の決断がなされましたが,これに関しても賢明な判断であったと思います。この決定は,全国の高校球児を守る決定であったというふうに思います。

大人の事情によって,高校の運動部の中で野球だけが別組織の管轄であるということは多くの方がご存知だと思います。もし野球だけが大会を強行すれば,高野連,高校球児への非難は避けられないでしょう。「野球だけが特別ではない」という言葉,全くその通りです。

しかしながら,高校球児にとっては,高校生活の全てを捧げて甲子園を目指してきたわけで,彼らにとって野球は特別なものなのです。突然に目標が断たれてしまったことへのショックの大きさは計り知れません。3年間の集大成ではなく,野球を始めた日からの集大成を甲子園で飾ることを夢見て,何かを犠牲にして,今日まで努力してきたわけです。他の機会で頑張ればいいや,などというレベルの話ではないのです。

昨日までに,甲子園の決行を要請するため,1万人を超える署名が集まったそうです。もし中止になれば,600億円を超える損失が出るそうです。これだけを見ても,高校野球の主役である選手の他,見る人,支える人,多くの野球人,多く日本国民にとって,甲子園は特別な場所なのです。
吉成野球の選手の中にも,甲子園に出たいと思っている選手がいると思います。全国の野球少年の憧れである,特別な場所,特別な大会なのです。

それでも,この現状。特別だからと決行できる状況とは到底思えません。
高校野球を皮切りに,屋外スポーツの自粛から一歩前進を・・・などという意見もネットに出ていましたが,それは高校野球が果たすべき役割ではありません。感染のリスクを抱えて大会を強行し,これまでのせっかくの自粛の努力が台無しになる結果を招く可能性を考えると,繰り返しですが今回の決定は賢明な判断だったと思います。

 

そんな中,甲子園中止を受けて取材に応じたある高校球児のコメントが素晴らしかったです。
「どんな決定でも受け入れる覚悟はできていた」「これを乗り越え,地域の人のために何ができるかを考えたい」と。その目はしっかりと前を向いていました。日々いろんなことに文句を言っている27歳がここにいますが,目標,夢を断たれた17歳,18歳の子たちが,今回の決定に不満一つ漏らさずに,こういう言葉が出せることに感服しました。日頃から,目の前のことだけではなく広い視野を持ち,多くの人から応援されるに値する高校生活を送ってきたのでしょう。

 

春,夏と,大舞台に立つことができなかった選手への救済措置や代替策が一向に出てきません。協議されてはいるものと思いますが,地域の実態等を考えると一つにまとめることは現段階では難しいのかもしれません。学校生活,進路選択等々への影響がないことが大前提ではありますが,どうにか,球児たちがしっかりと節目を迎えることができるような決定が今後されていくことを願っています。必死に前を向く高校球児たちの心が救われる日が来ることを切に願っています。

今回の決定によって,署名活動等,すでに多方面で大人が動いているようです。
動くとするならば,高野連への批判ではなく,高3の球児たちにしっかりと高校野球を締めくくらせてあげられる方法を考える方向のものであってほしいと願います。

 

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