2018.3.20(火)
本日の記事のタイトルは「叱る」です。
あえて、「怒る」とは区別して使うことにします。
※私論が多々含まれますのでご了承くださいませ。
「怒る」は、怒りの感情(イライラ)をぶつけることだと考えています。
否定的な言葉や乱暴な言葉も飛び交うことが想像できます。
それに対して「叱る」は、人として使ってはいけない言葉を口にすることなく、そしてイライラをぶつけることなく、成長を願って厳しい態度で伝えることだと思っています。
昨今、「誉めて伸ばす」ことが良しとされていますが、私は親ではない人から「適度に」「適切に」叱られる経験が成長につながると思っています。叱られる機会が少ない子どもが、「いけないことはいけない」と気付けるのでしょうか。
逆に、誉められる機会が少ないというのも大きな問題であると思っています。誉められる経験が少ないと、叱られた経験を生かすことが難しく、反動でいろいろな困り感を生むことになってしまうだろうなとも思います。だから私は、叱った分以上に誉めることにしています。
一方で、叱る上で留意しなければならないこともあります。
大人から強い言い方をされると子どもは傷つきます。「耐性」も考慮に入れておかないと、叱ったことが次の機会に生かしにくくなると思われます。「自分はダメなんだ」というネガティブな気持ちだけが残る伝え方ではなく「自分の○○は直さなければ」と感じさせたい。そして、叱られたことを子どもが納得できるよう、叱る中身には一貫性を持たせ、対立や反発、不満を生む関わり方は避け、素直に見つめ直させることと気付かせることを大切にして話をします。叱って終わりにせず、誉める機会につながるよう意識して叱ります。
反省を促す上で大事にしていることは、言葉で整理していくことです。「うん」とか「ううん」で終わるような投げ掛けはしません。まとまっていなくても自分の言葉で最後まで話させます。私は子どもの心に響くような説教はできないので、子ども自身が発した言葉が心に残るように導きます。言葉にすることを面倒がる子どもは伸びないと思っています。
誉めても叱っても、何度繰り返し伝えても、変容が見られない子どももたくさんいます。気付きに時間がかかる子どももたくさんいます。自分もそういう子どもだったと思います。そういう子どもたちに、自分が関われる6~12歳の間に一つでも多くの気付きを授けたいのです。
私は、すぐに変わることを期待して叱りません。
すぐに変われる場合と、すぐには変われない場合があると思うからです。
それでも、同じことを叱り続ける。伝え続ける。そういった視点も大事なんじゃないかなぁと思うわけです。一度叱ったからには、子どもが変わるまで見て、変化を認める責任があると思っています。
自分は未熟な指導者ゆえ、確実に実践できているかどうか・・・?
シーズンが始まるにあたり、考えを整理したくて書きました。
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